2018/10/26

新しい技術で生活習慣が変わっていく気がする

一般論としては、何か新しい技術が世の中に導入される事で私たちの生活習慣が影響を受けるのは、至極当然なので、わざわざ「新発見!」であるかのように発言するほどの事ではありません。

しかし具体論としては、いろいろな事例があり得るので、あえて語ることも認められるでしょう。

古い例えになりますが、電卓です。これが一般に普及することで、人々の暗算能力が劣化することが懸念されました。結局今日の我々の計算能力は、維持されているのでしょうか。それとも予想通り劣化したのでしょうか。

また別の例なら、携帯電話です。(電波が届き、電源が落ちていないという条件がありますが)何時でも相手と連絡がとれるようになりました。そのことで様々な生活習慣の変化がありました。その一例として、誰かと会う約束をした時に、事前に会う場所を決めておかなくても、その時点で携帯に電話すれば良くなりました。予め細々と決めておく必要がなく、出たとこ勝負でもなんとかなるという生活態度が一般化しつつあるように思います。それが誰かと会う状況だけなら構いませんが、生活のあらゆることに拡がると、それはそれで困った状況だと感じています。

 もう一つ例を挙げると、カーナビです。地元ならば土地勘も働きますが、知らない土地を運転する場合にカーナビがあれば大変便利です。しかしカーナビを使っている人(私は持っていませんが)に聞くと「道を覚えなくなった」と言います。カーナビを使わずに知らない土地を運転すると道を間違えてしまうことは避けられません。そうならないように目印となる建物や標識に注意を払うようにします。別に記憶するつもりはありませんが、無意識のうちに覚えているようです。何年も経ってから同じ道を走ると、過去の記憶が蘇ることがあることを体験しています。

さて、このような具体例として新たに付け加わるのが「スマホ」だと思います。しかも音声認識に対応した検索エンジンです。僕はスマホ「も」持っていませんが、所有者の行動を見ていると、会話の最中に疑問が生じると、すぐに「音声認識対応の検索エンジン」で調べようとします。そして見つかった情報をオウム返しで語るだけの「スピーカー」になっています(本当は人間のハズなんですが)。 個人の知識や経験に基づいて語るような状況が薄れていく傾向になると感じています。

自分の頭で考えなくても、「インターネットが自分のナレッジデータベースになってくれる」というキャッチフレーズは魅力的ですが、それが一般化した時に、自分で考えることは一体何なのでしょう。はたして、その能力は維持できるのでしょうか。

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