2017/05/04

PCに関して、よく言われていること

個人が使用することを想定する「パーソナル・コンピュータ」(要するにPC)について、よく言われているけど、本当にそうなんだろうかと思うことがあります。

1つ目は「PCを自作する意義」です。そもそも2017年現在においてPCと言えば、それはIBM-PC互換機(昔はDOS/Vマシンとか呼ばれていましたが) のことです。1980年代にはNECのPC-9801シリーズが個人向け市場の主流を占めていたこともありました。その当時にもIBM-PC互換機は存在しましたが、日本語の取り扱いに問題があり日本市場では受け入れられていませんでした。その頃からIBM-PC互換機の世界では「PC自作」がおこなわれていました。

「PC自作」というのはNEC PC-9801シリーズには無かった発想です。IBM-PCには互換機ビジネスが立ち上がっていたので、パーツを交換して機能を向上させることは珍しくなかったようです。そして、これを繰り返していくうちに余剰パーツが増えてくるので、適当なタイミングでPCをもう1台組めるくらいになると言われていました。

「PC自作」はアメリカ人の文化的背景の影響もあると思います。アメリカには西部開拓でみられるように、自分が必要なものを自分で作り上げるというDIY文化があります。またアメリカ人が家電製品に求めるものは、日本人のようなスペック至上主義がないようで、動けば良いという程度のようです。この姿勢がPCにも反映されているのではないかと思いますが、自作だろうが何だろうが、動けば文句はないということのように見えます。

現在の日本でも雑誌で「PC自作」を語るので、自分でも手を出してみようと思う人が出てくるのだと思いますが、そこに何を求めているのでしょうか。

まず自作は安くすむと言われることがありますが、実際には必ずしも安くなるとは限りません。少なくとも間違いなく言えることは、自作することにより、メーカーが製品化されていないようなパーツを採用したPCを作ることができるということです。しかしそれは低価格で作れるとは限らず、往々にして値段の合計価格はメーカー製のPCよりも高くなりがちです。

さらに自作PCで注意しておかなければならないのは、全体を組み上げたときのトラブル解決には自分で責任を負うしかないことです。個別のパーツについては各々の製造元や販売元でトラブル解決に応じてくれるかもしれませんが、それらを組み合わせたPC全体については誰にも頼ることはできません。それが自作というものです。

自作PCは、別に安価というわけでもなく、トラブル解決の責任を自分で負わなければならないのですが、それでも「自作する意義」はどこにあるのでしょう。それは個人ごとに答えは違うのでしょう。

どうせ自作するのであれば、いっそのこと「パソコン」がまだ「マイコン」と呼ばれていた頃に、秋葉原などでICやLSIのパーツを集めてきて完全自作をおこなったような「マイ・コンピュータ」を作るくらいのことをしてみてはどうだろうかと思います。

よく言われる2つ目は「旧いPCをLinuxで復活させる」という話です。最近ではMicrosoft WindowsはOSがサポートするハードウェア要件を厳しく指定するようになっているようで、旧いPCになると最新のOSが動かないようです。しかもMicrosoftは昔のOSのサポートを打ち切ってしまうので、セキュリティ的にも問題があるので、いよいよ旧いPCの使い道に困る状況になってきます。

雑誌などをみると「旧いPCをLinuxで蘇らせよう」という記事をよく見かけます。LinuxならWindowsよりもハードウェア要件が厳しくないのは確かです。またLinuxやBSD系のフリーなOSと呼ばれているものは、IBM-PC AT互換機で、CPUが386以降でありさえすれば、基本的に動作するはずと思われてきました。しかしこの常識は変わりつつあります。

コンピュータの世界の進歩は「ドッグイヤー」とか言われるのに、30年前という超大昔のアーキテクチャとの互換性を引きずって開発を続けていくのが辛くなってきているようです。今後のLinuxやBSDの基準アーキテクチャがどのような水準なのか不明ですが、流石にオリジナルIBM-PC ATと386ではないようです。

つまり「Linuxなら旧いPCを復活させられる」とは限らないということです。

この他にもよく言われていることで「Windowsの代わりにLinuxを使う」というものがあります。これは上述した「旧いPCでLinuxを復活させる」とは違う話題です。

まず一般的に言うとWindowsの代わりにLinuxを使うことは可能です。Windowsは有償の商品で、Linuxは無償で利用できるので、金銭的なコストを気にする立場ではLinuxを利用したくなる動機づけがあります。もちろん両者は異なる設計思想で作られているため、「同じように使う」ことは出来るかもしれませんが、「まったく同じ機能を求める」ことは無理な要求です。

ここで気を付けておきたいのは、LinuxをWindowsの代わりに使うと言っても、実際にはOSにLinuxを採用し、さらにデスクトップ環境として何か(GNOME、KDE、MATE、LXDE等々)を使うという意味だということです。しかもLinuxにはディストリビューションとしてUbuntuだとか、Fedoraだとか、幾つも種類がありますから、これらを組み合わせた数は膨大に(ほぼ無限に)あります。WindowsならMicrosoftが製品としてコントロールしているので、単なる利用者としては悩むことはあまりありません。これに対してLinuxとデスクトップ環境を使おうとしている利用者は、自分が使おうとしている環境が世間的にメジャーなのかそうではないのかを気にしておいかないと、何か問題があっても何処からも助言が得られなくなるかもしれません。

さらにOS部分にLinuxではなくFreeBSDやNetBSDなどを使おうとするのであれば、何があっても自力で解決していく覚悟をしておいた方が良いかもしれません。

Windowsを止めてLinuxを使おうとするのは悪くはありませんが、実際に使ってみて総合的に判断した品質レベルが同等と言えるのかは慎重な判断が求められます。WindowsからLinuxに乗り換えてみて、何も問題がなく、移行して良かったと感じるひとはいるでしょう。しかしLinuxに変えて失敗した、これならWindowsの方が良かったと思うひともいるはずです。これらの判断は、使い続けてみて徐々にわかってくることだと思います。仮にWindowsからLinuxに移行してみて、信じられないようなトラブルに見舞われたとしても、そういうこともあるさと状況を楽しめるのであれば、どんな問題であっても乗り越えていけるでしょう。 

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