2017-04-10

英文が書けるようになりたいにも拘わらず、練習に前向きになれない言い訳の分析

外国語を身につけたいと思っています。別に英語でなくても構わないのですが、これまでの勉強の蓄積と、使い道の多さを考えると、英語が無難なのは間違いありません。

外国語学習においては「四技能(読み・書き・聴き取り・会話)を満遍なく伸ばすこと」が大切であると言われています。インプット系(読んだり聞いたり)は、これだけインターネットが発達した現代社会なら、素材は有り余るほどです。これに対してアウトプット系(書いたり話したり)は自らの能動性が求められるので、意識的に学習しなければならないと考えています。最終的な目標としては、英文で文章を書くのに(主観的に)不自由しないことです。しかしそれは遠い目標なので、とりあえずは英文を書く練習をして、書くことに慣れたいと思っています。

こういう事は随分前から思っているのですが、なかなかエンジンがかかりません。動き出したかと思うと、あっという間に止まってしまって、長続きしないのです。

その原因を分析してみると、こうなります。
  1. そもそも文法や語法が弱いし、単語や慣用表現の蓄積が足りない。
  2. 日本語で文章を考えて英訳しようとするが、はたしてそのようなやり方でよいのかと思い留まる気持ちになる。
思い留まったりせず、四の五の言わずに、英文をどんどん書くべきだ、という意見があるようで、それはそれで一理あるとは思っています。またそれで上手くいった人もいることでしょう。なんとなくスパルタ的な方法論だとは感じます。例えるなら、泳げるか泳げないか、または泳ぎに必要な技能が身についているかなどは気にせず、どんどん海に飛び込んでいけば、自然と泳げるようになるんだという臭いを感じるのです。

さらには、英語学習に関してではありませんが、技能習得に際して最初に変なクセがついてしまうと矯正が大変だ(もしくは矯正できない)から、最初に自己流で変なやり方をしない方が良いということも、よく耳にするところです。

それで結局どうした良いのかと、この文章の最初に書いたようなところに戻り、その後の文章のような思考を辿り、壊れたレコードのように思考がループしています。どこかでこのループを断ち切らなければならないでしょう。

教育方法論のひとつに「i+1」 というものがあるそうです。これがループ脱出の鍵になるんじゃないかと考えているところです。

0 件のコメント:

コメントを投稿