2017/04/25

遠隔地の2点は近接しているように感じる

一般的に言われていることとして、土地の距離感は自らの地元から離れるほど区別できなくなっていきます。

例えばインターネットの掲示板などで見かけるものとして「初めて北海道に2泊3日で旅行しようと思っていて、函館と釧路と札幌と旭川に行ってみたい」 というような質問が時折あります。観光するというよりも、移動しているだけで終わってしまうような日程です。質問者の知識不足があるのは確かですが、地元からの距離が遠くなるほど、そこにおける距離感は小さく見えるという心理状況が根底にあると思います。

同様の例として、海外旅行でニューヨークに行こうと思っている人が、どうせアメリカに行くんだから、ついでにワシントンにも寄りたいとか言い出すことがあります。世界地図で見ると、アメリカ合衆国は広い国ですが、ニューヨークとワシントンは近くにあるような気がして、まるで東京に行くついでに横浜にも寄っておくというような意識で旅先を選択しているようです。

これらの事例は、土地勘が無いと言ってしまえばそれまでですが、冷静に考えれば決して短距離ではないことがわかるはずです。ニューヨークとワシントンの間であれば400km弱なので、東京と大阪との間くらいの距離があります。

日本地図や世界地図を見れば、行こうとしている場所までの距離は確認できるとは言っても、実際には自分が住んでいる場所ほどの親密さは無いので、距離感覚は大雑把となりがちです。もし過去に住んでいたことがあるなどの特殊事情があれば、それは要するに「地元」ということになるので、現在住んでいるところから離れた場所の距離感は掴み難くなるということとは別です。

さて、ここで話を飛躍させて、インターネットが高度に発達した現代社会は「世界が小さくなった」と言われます。確かに数10年以上前であれば、世界の情報を入手するのは容易ではなく、実際に現地に訪れる機会もなかなかありませんでした。それに比べれば、インターネットでWebを見れば、アメリカだろうがヨーロッパだろうが、南米でもアフリカでも最新の現地の様子がリアルタイムに得られるのは驚異的です。

世界中の情報がほぼ無限に得られる時代であるにもかかわらず、実際の意識の上では、自分の身近の土地勘の緻密さに比べれば、距離が離れるに従って大雑把になっていかざるを得ません。個人が収集できる土地的情報量が一定だということなのでしょう。

しかしグローバルな現代社会に生きている我々としては、これまでなら意識しなくても済むような場所における災害や事件などが、巡り巡って我が身に間接的に降りかかる影響は無視できなくなってきつつあります。従来なら気にしなくても良かったような国々の情報も、知っておいた方が望ましい時代であるとも言えます。

そうは言っても、万が一のために世界中の国々や町々の情報を詳細に調べていたら、とてもじゃないけど一日が何時間あっても足りません。

ここまで述べてきたような事情を意識した上で、世界の状況に気を配っていくべきでしょう。物理的距離が遠ければ「遠くのものはよく見えない」のは確かですが、意識的に関心を持つようにすれば、心理的距離が近くなることで世界は多様な原理で動いていることが実感できるはずです。

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