2017/02/11

「Think global, act local」に思う

「Think global, act local」という標語があります。この言葉は、ずいぶん前に放送大学教養学部に在学していた時に環境問題に関する面接授業(放送大学では一般に「スクーリング」と呼ばれている形態の授業を「面接授業」と呼んでいます)を受講した時に学びました。その意図するところは「地球規模で思考し、地域的に活動する」ということです。英語版Wikipediaには「Think globally, act locally」というエントリがありますが、冒頭で以下のように記しているので要するに同じことです。
The phrase "Think globally, act locally" or "Think global, act local" has been used in various contexts, including planning, environment, education, mathematics, and business.

グローバルな活動がおこなわれる現代社会には国境はないと発言する人もいます。インターネットを使えば世界中の情報を瞬時にアクセスできるので、まさにグローバルな社会を実感します。金融の世界などでも、どこかの市場の影響があっという間に世界に拡がるので、グローバルに取引されていることが窺えます。

個人的な経験ですが、古本の洋書を購入するため「AbeBooks.com」というサイトを利用しています。望む書籍のタイトルなどを指定すると全世界の古書店(対象となるのはAbeBooksと提携している書店だけですが)を対象に検索してくれます。これだけでも十分にグローバルであることを実感しますが、さらに驚いたのは、ある米国の古書店に注文を出したらヨーロッパの倉庫から発送されてきたという事例がありました。

このような活動が日々の生活で当たり前となっていれば、時代の趨勢はグローバル化であり、無国境化であり、全てがフラットな社会こそ未来の姿だと思うことでしょう。

さて、数年前に「超高速!参勤交代」という娯楽映画を観ました。続編もあり、時代劇のスタイルをとっており、時代考証もされていますが、これで歴史を学ぶものではなく、純粋に楽しめばよい作品です。江戸時代の小藩が巻き込まれた事件(もちろん創作です)をコミカルに描写していますが、見所のひとつは藩士たちの郷土愛の強さです。ある意味で現代のグローバル化の対極に位置しているかと思わせるような様相です。藩士たちにとって世界とは自分の属する藩領であり、一生をそこで終えるのが幸福な終末だったことでしょう。

江戸時代以降の歴史を知っている人間からすれば、鎖国をやめ世界に門戸を開き、そして今日のグローバル社会がある訳です。当時の藩士たちは自分の属する藩の中しか知らず(あと多少江戸も) 、広い世界を知らずに一生を終えるわけですから、お気の毒な事だと思うかもしれませんが、はたしてそうでしょうか。

現代に生きる我々は、江戸時代のように土地に縛られておらず、何処でも好きなところに好きな時に移ることができます。可能性としては、日本国内に留まらず、世界中のどこにでも移ることができるはずです。それは諸手を挙げて喜ぶべきことなのでしょうか。そうであれば何故に映画「レオン」の最終シーンのような描写がなされるのでしょう。

世界の人口は70億人を超えており、今後100億人になろうともしています。人口が爆発的に増えていますが、第2次世界大戦の頃の世界の人口は20数億人でしたし、 19世紀初頭の世界の人口は10億人程度でした。現在の中国の人口よりも全世界の人口が少なかったというのは驚きです。

グローバル社会に生きる私たちは、昔の人達と比べて、これほど多くの人間に関心を寄せるほど心が広くなっていると言えるでしょうか。世界を股にかけて活動しているとしても、視野に入っているのは極めて限定された範囲なのではないでしょうか。冒頭の標語を捩れば「Think local, act global」に逆転していませんか。

つい先ごろ、世界の富豪62人の資産が、全世界の人口の半分の富と同じだという報道がありました。「グローバル社会」を謳歌する富豪たちがいる一方で、「グローバル社会」という名のもとに経済的に追い詰められる膨大な数の人達が生まれてしまっています。このままでいくと、世界のことなんかどうでもよい、自分さえよければいいという風潮が加速してしまいます。意識が内向きになればなるほど、他人がどうなろうと気にならないのかもしれませんが、これは六道のなかのどれになるのでしょうか。あわせてニーメラーの言葉も思い起こしたいと思います。

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