2017/02/09

抽象画と例え話との類似性

美術館や博物館などでは友の会に入会していると常設展を(場合によっては特別展も)無料で鑑賞できるようになります。さらに提携している美術館などの常設展にも入れることがあるので、うまく利用すれば、多くの作品を気軽に楽しめるようになります。

ただし常設展の場合は展示替えをしない場合もあるので、同じ作品を何度見てもしょうがないと思う向きもあるかもしれません。ここでよく考えておきたいのは、作品を多少一瞥したくらいで何かがわかるものだろうか、ということです。仮に見た瞬間に作品や画家の意図が一瞬にしてわかるという体験をしたとするなら、それを否定するつもりはありません。僕にもそういう経験が(ごくごく稀に)ないわけではありません。

そうはいっても、数多くの美術館で数多くの常設展にある作品に接した時に、あらゆる作品でそのような経験をするものでしょうか。見る作品すべてにおいて魂が揺さぶられるような気持ちになるのであれば、常設展の出口についたころには疲れはてていたりするのではないでしょうか。

現代美術の抽象画は分かり難いと言われます。その一方で古典的な宗教画や近代の印象派などは「わかりやすい」と思われています。本当にそうでしょうか。確かに描かれているのが風景だったり、聖書の一場面だったりすることは「わかる」かもしれませんが、それでわかったことにして終わりなのでしょうか。

美術作品を鑑賞する時に、ややこしい理屈を持ち出さずに「見たままに感じればよい」とする意見があるようです。それで納得できる人はそうすれば良いでしょうけれども、僕はもっと意識的に鑑賞したいと思っています。鑑賞の参考になりそうな書籍は数多く出版されていますが、ふとしたきっかけで僕が知りたいと思っていたようなことが書かれている本を知りました。これを基にして勉強してみようと思っています。

書籍の解説を読んだり、美術館で作品に触れたり、他の美術館の別の作品をみたりすることを何度も繰り返していると、いずれわかってくる(かもしれない)と思っています。諺に「読書百遍意自ずから通ず」とあるので、作品を何度も見ることが大切だと思います。そのためにも、常設展に何度でも入れる友の会特典は助かります。

前言を翻すようですが、何度見たところで分かった気にならないのが、現代美術の抽象画です。抽象画の理屈はわからないでもないのです。要するに現代社会を特徴づける何かひとつを取り出して、具象的ではなく(抽象的に)表現しているのでしょう。それは良いのですが、作品を前にすると「これは何?」という気持ちにしかなりません。たまには「あぁ、そういうことか」と思う作品に出合うこともありますが、たいていは謎のままです。

ふと思ったのですが、抽象的に表現するのは「例え話」に似ているような気がします。例え話というのは、本当に伝えたいことをストレートに表現するのではなく、相手の理解しやすい(と思った)内容に変換して「例えば」として伝える手法です。これが成功すれば「なんて分かりやすいんだ」と評価してもらえるでしょうけど、失敗すると「何の話をしているの?」とか「だったら、〇×なんでしょう?」とか見当はずれの応答が返ってきたりします。

考えてみるに「例え話」とは、伝えたい事柄から枝葉末節を捨て去って本質だと思うことを取り出して、別の事柄として伝えるテクニックということではないかと思います。これは「抽象画」がおこなっていることに似ているのではないでしょうか。

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