2016/11/07

「報告型の課題」となるレポートを書くときの心構え

放送大学(学部でも大学院でも)では学期の途中で通信指導という名の中間レポートの提出が義務付けられています。マークシート形式の場合もありますが、せっかく学んでいるのですから記述式(字数は1,000字前後)に挑戦したいものです。

厄介なのは、どんな課題であっても何かを調べてから書き始めることになるわけですが、調べれば調べるほど深みに嵌まる気持ちに追い込まれることです。何も調べずにレポートを書くのは学問を舐めていると思いますが、そうかと言って際限なく調べればよいというものでもないと思います。何かリミッターのようなものがないと、全精力を通信指導に注ぎ込んでしまうはめになります(現実性を無視した観念論的発想としては悪くないのかもしれませんが、日常生活では他にもやることがあるのです)。

論文の書き方について語った書籍は数多くありますが、僕が気に入っているのはNHKブックス [954]として2002年に出た『論文の教室 レポートから卒論まで』(戸田山和久)です。新版が出ているそうですが、そちらは読んだことがありません。

本書の文体は独特で、四角四面な畏まった記述を期待していると、腹立たしさを感じるかもしれません。しかし僕自身はとても参考になる本だと思っています。いろいろと参考になるところが多いのですが、今回のテーマにに関わるのは以下の箇所です(110ページから引用)。
ところで、学生から提出された報告型のレポートを読んで気づくのは、キミたちが「いろいろ調べてわかったことを書くのが報告型の課題だ」と 思っているのではないかということだ。えっ。違うんですか、という声が聞こえてくる。違うだなこれが。
あまり長々と引用してもしかたないので、続きは書籍を読んでもらいたい。何の方向性もないままに資料を集めまくって、何を書いたらよいのか分からなくなり、まとまりのない報告が出来上がると語られています。

これは非常に大切な指摘だと思います。インターネットで検索をかければ、真理も法螺も含めて山のような情報にアクセスできます。なんて幸せなんだろうと思えるのは一瞬だけで、その後には苦痛が待っています。

レポートに何を書くのか何のアイディアも浮かんでいない時点では、制約を設けずに大量の情報を集めるのも悪くないでしょう。しかしインターネット上には個人が1,000年生きても読み切れないほどの情報が溢れています。闇雲に情報を収集しても行き詰まるだけです。

情報を集めてみてレポートを書く種となりそうだなと(一瞬でも) 思った事柄が出てきたら、それを育ててみるべきでしょう。もしかすると執筆途中で何度も障害に行く手を阻まれそうになるかもしれません。しかしそれを乗り越えた先に、自分のオリジナルの着想で仕上げたレポートが待っているはずです。

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