2016/09/07

時間の単位としての「秒」の定義

時間の単位である「秒」の定義は、もともとは地球の自転を分割して定義されていましたが、現在ではセシウム133が基準に選ばれているそうです。

地球の自転周期が変わらないのであれば、自転周期を86,400(=60×60×24)分の1として「秒」が定義されます。ところが実際には自転周期が変動していることがわかったので、自転周期が変動していないことを前提にしていたのに、その前提が崩れてしまいました。その後現在のセシウム133を用いて「秒」を定義することになりましたが、その科学技術的な歴史を述べようと思っているわけではありません。

 現在は「周期の9,192,631,770倍」を基準として「秒」が定められていますが、こうなった理由はいろいろあるとしても、結局は過去の「秒」の定義による値に近いということが必要だったのでしょう。過去のしがらみを無視して定義できるなら、もっと別の定義がありえたと思います。

フランス革命後に「フランス革命暦」という一見合理的な暦が制定されました。過去のしがらみを捨て「1週を10日、1日を10時間、1時間を100分、1分を100秒」などとしたのは革新的でしたが、従来の生活習慣とは全くちがうので、おそらく不満が高まったことでしょう。それでも革命の勢いで押し切ろうとしたのでしょうが、さすがに反対する人々を止められなかったようです。

フランス革命に限らず、大きな変革をおこした場合には、その成功を内外にアピールするため従来とは全く違うことを実施しようとするし、もしそれが失敗したら革命自体が失敗したと思われてしまうので、有無を言わさず押し切ろうとするものでしょう。

日本では明治5年12月3日を新暦による明治6年1月1日として強引に旧暦を新暦に切り替えましたが、明治維新が革命と評価されるのか否かは別にして、強権的に制度変更を実施しました。フランス革命暦に比べればたいした問題にはならなかったかもしれませんが、話し合いで納得を得ながら手順を踏みながら変更していこうというような発想は、おそらく全く無かったことでしょう。

生活習慣を大きく変えるような施策を行おうとする場合は現代社会では関係者が納得して合意した上でおこなわなければなりません。「やってみればわかるから」とか「有無を言わさず実行」とかできる時代ではないでしょう。反対する理由も賛成する理由も、過去とのしがらみを意識していたり、経済的利益の追求だったり、理由はいろいろでしょうが、多様な観点と論点を考慮して合意形成を図っていく必要があると思います。手間暇がかかるし、時間もかかるでしょうが、急いては事を仕損じるとも言うとおり、なかなか決まらないのは必要なことだと思います。

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