2016/08/08

何々「というところ」という表現

ウィキペディアの「北海道の難読地名一覧」によると北海道の小樽市には文庫歌というところがあるそうです。現在では地名としては残っていないようですが場所的には小樽市塩谷2丁目付近のようです。難読地名は日本各地にあり、大阪府の放出(はなてん)も有名です。ただし難読であっても地元の人からすれば難読でもなんでもなくて、普通に読めていることでしょう。

ここで注意したいのは次のような表現を選択するときの 心理的な動向です。
  1. 北海道というところがあります。/北海道では××です。
  2. 北海道には小樽市というところがあります。/北海道小樽市では××です。
  3. 北海道小樽市には文庫歌というところがあります。/北海道小樽市文庫歌では××です。
これらの表現を考えると最初の2例は違和感があるのではないでしょうか。「何々というところがあります」という表現を選択するときには「その地名は既知ではない」という心理が働いているはずです。だから「北海道」とか「小樽市」のような日本では誰でも知っているような地名に対して「というところ」と表現することは、まずないでしょう。しかし(難読である否かは無関係として)極めて限定された地域の中でしか知られていないような地名であれば「というところ」という表現を用いるのがむしろ普通で、それをあたかも日本中で既知であるのが当然のように表現されたら、引っ掛かるものがあるでしょう。

手持ちの国語辞書(『明鏡国語辞典』携帯版)を引いてみましたが「というところ」という表現を説明している箇所は見つけられませんでした。見出し語「い・う【言う】」では語義6の中で「(ア)《「と―」の形で》下の語で上の語の内容を説明するのに使う。」とありました。「文庫歌というところ」の場合なら「ところ」という下の語で「文庫村」という上の語を説明していると考えられるということになります。ここにおける語義の説明では心理的側面については触れていません。

以上長々と「というところ」という表現に拘ってきたのは、この表現には会話をおこなう間での共通認識を明らかにするリトマス試験紙となるのではないかと思ったからです。会話に登場する地名に対して「というところ」と表現する人は、その地名を含む周辺に対して馴染みがないことを言外に示していると言えないでしょうか。

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