2016/08/16

ミステリ作品の伏線には気付くものなのか

アメリカで活動しているTrans-Siberian Orchestraというバンドが1996年に発表した作品に「Christmas Eve/Sarajevo 12/24」があります。発表された時期やタイトルからは当時のサラエボ紛争が思い起こされますが、そこに込められた社会的なメッセージ性については理解していません。

YouTubeでプロモーションビデオ視ることができます。まず女の子が様子を窺うようにドアを開けて部屋に入るシーンから始まり、雪が降る中を深夜に屋外で演奏している楽団の中に紛れ込んでいきます。そして娘がベッドで寝ていないのに気付いた母親が家の中を探しはじめ、部屋に入ってくるとソファで寝ている(というか寝たふりをしている)女の子を見つけ、ほっと安心して床に落ちていたガウンをかけてあげるというのが概要です。

この母親がPVの3分22秒あたりで床に落ちているガウンを拾い上げるのですが、このガウンはPVの冒頭0分19秒付近で部屋に入ってきた女の子が落としたものだと思います。このガウンに何かメッセージがこめられているのか否か不明ですが、これは要するにストーリ中にある伏線のひとつなのだと思います。

この動画を何度も繰り返し視て、隅々まで覚えてしまうくらいになれば、作品中に現れる小道具のひとつひとつにまで気を配ることができるでしょう。しかし初めてPVを視てとしたら、冒頭に出てきたガウンが伏線として最後に再登場していることに気付くのは難しい気がします。

伏線とはこのようなものでしょう。作品中であからさまに存在を主張してしまったら伏線にはならないと思います。ミステリ小説や映画などで最後にどんでん返しがあり意外な人物が犯人であることがわかることがありますが、作者にしてみれば情報は全てオープンにしている(ただし伏線として)とよく言います(Webには「ミステリにおいては伏線=ヒント、そして時には=謎」という書き込みがありました)。それに気づかなかった自分の不明を恥じ、意外な展開にカタルシスを感じ、同じ作品をもう一度視よう(読もう)という気にさせることでしょう。こうして何度も繰り返し接することができる作品、また接することに耐えられる作品が、名作としての評価を得ることになるのだと思います。

これに対して、底の浅い作品だと伏線も何もなくて、先の展開が読める気がしてくるものですし、実際にも想像していたようにストーリーが展開していきます。一度読んだら十分で再読しようとも思わないでしょう。このあたりが名作とそれ以外を分ける境目になるのかもしれません。

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