2016-06-24

EU離脱をめぐる英国民投票と米国大統領予備選挙

EU離脱を問う英国民投票の結果が明らかになり、ニュースでも大きく報道され、市場の動揺が伝えられています。イギリスがEUに残留するか離脱するのかという問題に限れば、それはイギリスの国内問題であり、日本に直接関わる問題ではないでしょう。

イギリスの国内で両者がどのような主張を展開し、それに対してイギリス国民がどのような現状認識を踏まえて判断を下したのかは、報道機関のフィルターを通して受け取るしかないので詳しく知ることは出来ないだろうと思っています。いろいろな論点があったでしょうし、現地にいればこそ知りえた現状があったことでしょう。

ニュース等でよく耳にしたのが「移民問題」です。例えば朝日新聞デジタルでは「英国がEU離脱へ BBC「過半数上回る」、初の脱退例」(2016年6月24日14時16分配信)の中で次のように伝えています。
 国民投票に向けたキャンペーンで、離脱派は移民問題に焦点を絞り、「EUにとどまる限り移民は減らせない」と主張。「主権を取り戻せ」と訴えた。またEUから出ることで、英議会の主導権を取り戻すべきだと説いた。
ヨーロッパ各国には移民の流入に対して拒絶感を示す勢力があると聞いています。「移民に職が奪われている」という主張が次第に国民に受け入れられてきているようですが、その主張に理があるのか否かは判断できません。

イギリスがEUから離脱すると言っても、離脱日までの日程が決まっているわけでもありませんから、相当先の話になるでしょう。数年後かもしれません。少なくとも現時点ではイギリスがEUに含まれているという前提で社会システムが出来上がっているわけですから、法律を整えたり、企業の社内システムを変更したり、それ以外にも諸々の事柄を解決しなければならないでしょう。1990年代にY2K問題の対応にどれだけ費やしたかを思い出せば、そう簡単に済む話ではないことが理解できるでしょう。

何年か後にはイギリスがEUから離脱する当日がやってくることになります。そうすれば形式的には移民の流入が減少するのかもしれません。しかし移民の存在を前提として出来上がってしまっている社会を変えるのは「EU離脱」とは別問題になるでしょう。既にイギリスに居住している移民を追い出すことは難しいだろうと思います。その時、EU離脱が移民問題を解決し、再び職を得られるはずだと思っていた人達の気持ちはどこに向かうことになるのか、心配になります。

アメリカでも移民問題が大きな政治的運動に巻き込まれています。大統領予備選挙で思わぬ候補が躍進してしまった背景には、イギリスが抱える問題と同じ根があるように思います。

報道によると、何10億もの報酬を手にする大企業の役員もいると言われています。普通なら一生働いても手にすることのできないような巨額の報酬を得る階級と、移民に職を奪われたと思っており好景気から取り残された不満を抱えている階級の落差は、不安定な社会を作っていってしまっているように思います。

デジタルリマスターで再放送していた「映像の世紀」を先日視ました。第一次大戦後の大好況にわく社会と、激しい経済不況に襲われ苦しむ社会の落差は、その不満を掬い取ることで勢力拡大を図ろうとするグループを育てることになりました。その悲惨な末路の反省の上に成り立っている今日の社会を生かし、同じ過ちを繰り返さないことを願っています。

2016-06-20

放送大学「放送大学大学院修士全科生入学希望者ガイダンス」に参加

先日放送大学大学院の入学希望者ガイダンスに参加してきました。ゆくゆくは入学したいと思っていますが、目的は「入学すること」ではなく、自分がやってみたい研究との関わりの中で必要なのかを問うているので、特に来年度入学したいわけではありません。

これまでも毎年ガイダンスに出席しています。選考方法の概要等は募集要項やパンフレットを読めばわかることですし、毎年ほぼ同じ内容なので、そこは重視していません。むしろ教員からの説明や修了生の体験談、特に質疑応答を重視しています。他の入学希望者が何を知りたいと考えているのかを聞くことで、他の人たちが大学院に何を求めているのか、また一般の通学制大学院とは異なる「放送大学大学院」では何ができるのかを知ることができる貴重な機会だと考えています。

例年では臨床心理学プログラムを希望する人が殺到し、それ以外のプログラムの話が少ない傾向にありました。今年は臨床心理学プログラム希望者のガイダンスを午後開催としたので、午前中はそれ以外の6プログラムの話を聞くことができて、良い方法だと感じました。

 一般の大学院を受験しようする場合では、「事前に研究室を訪問しておくべきだ」とか「担当教員と顔合わせをしておいた方が良い」などのアドバイスを受けることがあります。しかし放送大学大学院では合格しないと担当教員が決まらないので、事前に接触しようがありません。また担当教員の経歴に沿った研究テーマを志向するのではなく、入学希望者自身の内面から湧き上がってくる研究テーマが求められるので、「研究」を生業にしたことがない場合、何をすれば良いのかイメージを掴みにくく、敷居が高く感じられるところです。

今回出席したガイダンスでは、教員を代表して人文学プログラムから島内裕子教授と情報学プログラムから広瀬洋子教授が出席なさいました。お二人とも怖がらずに挑戦する勇気を訴えられ、これなら自分にも出来ることがありそうだという気持ちにさせてくれました。

僕にとっては「大学院修了」という資格を得ることが目的ではないので、急いで入学するつもりはありません。むしろ自分の関心のあるテーマを研究していく中で、放送大学大学院で修士論文を書き上げ、テーマをより深めていく一助としたいと思っています。

2016-06-10

英文法は「暗記」するものなのか、それとも自然に身につくものなのか

昔から英語は苦手で何かと苦労しています。せめて基礎的事項の土台を固めておきたいと考えて高校レベルの簡単な問題集に取り組んでいます。いろいろな学参書籍がありますが日栄社の『英文法(高校初級・中級)』は問題数が多く、今どき珍しいほど安価なので、これを完璧に仕上げようと思っています。

語学の勉強に暗記が必要か否かという議論は、昔から繰り返されてきていて、なかなか決着していません。理数系のような原理原則重視の分野と違い、英語のような語学における規則(文法や語法)は例外が多いし、理屈で解決できないので覚えるしかないという事項が出てくるのは仕方ないことでしょう。

そこで迷っているのは、 英文法のある規則を身につけるために何を「暗記」すべきなのかということです。例えば上述した問題集には「He lost all the money (   ) he had saved.」の括弧に入る関係詞を答えさせる問題があります。ここには「that」が入りますが、それは先行詞にallが含まれているからです。手持ちの『Forest 5th edition』275頁に「関係代名詞のthatがよく使われる場合」という説明があります。

関係詞にthatが使われるのは5パターンほどあるようで、その説明を読めば特別に難解という訳でもありません。英文法のルールがそうなのですから「何故か」という問いを立てたところで解答が得られる訳でもないでしょう。

さて問題はここからです。次に同じような問題が出た時に、この5パターンを覚えていて、ちゃんと正答できるなら良いのですが、なかなかそうなりません。文法書を読んだくらいで問題が完璧に解けるなら、誰も苦労しないし、テストは常に満点でしょう。ここで表題とした問いに立ち戻るのです。つまり、 英文法は「暗記」するものなのでしょうか、それとも自然に身につくものなのでしょうか。

暗記しなくても自然に身につくと主張する意見も理解できなくもありません。間違いを繰り返しつつ真の理解が進み、暗記しなくても何時の間にか覚えているというのです。それはそうかもしれませんが、我が身を振り返って何度も同じような間違いを繰り返していて、なかなか成績が上がらない状況に嫌気がさしています。

では暗記するのでしょうか。でも何を?間違えた問題文でしょうか。英文法書に掲載されている例文でしょうか。それとも英文法書の記述そのものでしょうか。一度覚えたら永遠に忘れないなどという幻想を抱いているつもりはありませんが、無闇に力任せに暗記に走るのではなく、何かしらの方法論に基づいて暗記するようにしたいと思っています。

どうしたものかと、なかなか答えが出せません。

2016-06-06

演習問題から遡り物理学を学ぶアプローチ

先月から四苦八苦していた放送大学大学院の「現代物理科学の論理と方法('13)」の通信指導は、解けない問題が残りましたが、昨日発送しました。ここ一箇月ほど物理学の問題と格闘することで、ふとアプローチを変えてみようかと思い至りました。

今までは、まず教科書を読み、次いで演習問題に取り組むという順番でした。この方法をとると、どの教科書を選択すべきなのかという問題を最初に解決しなければなりません。

書店に行っても図書館に行っても、驚くほど多くの書籍があります。難易度も違うし、カバーする範囲も異なります。最新の学問動向に触れているものもあれば、伝統的なアプローチに徹しているものもあります。「(一般論として)教科書として何を選択しても構わないのだ」という考え方もあるでしょう。この一箇月ほど多くの教科書に目を通してきた経験からすると、僕自身にとって理解しやすいものと、そうではないものがあるという、当たり前の事実を再確認しました。

それならば、その自分にとって理解しやすい教科書を選択すればよいのではないかと思うところですが、ここで問題あります。一冊全体が自分で理解しやすいという訳でもなく、ある部分はこの教科書がわかりやすく、別の箇所は別の教科書が良いという具合です。

しかも物理学と数学は密接に絡み合っていますが、物理には物理のやり方があり、数学には数学のやり方があるので、教科書を執筆している立場によって不必要に詳しすぎたりするのです。
 
そこで発想を転換してみることにしました。まず演習問題に取り組み、理解不足で躓いた箇所を学ぶために教科書を読むという順番に逆転させてみようと思います。この方法で、ひとつの演習書をやりとげられれば、ひととおりの理解は得られたと確信できるでしょう。

このアプローチにおいても、どの演習書を選択すべきかという問題が残ります。ここでは、あれこれ目移りしないで決定しようと思っています。演習の問題数が多い方が良いと思っていますが、単純な問題が多くて水増ししているようなものは避けようと思います。解答の解説は、他の教科書をあたろうと思っていますから、略解レベルで十分だと思います。

2016-06-05

ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品35

チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を聴くようになりました。以前からチャイコフスキーの作品は気に入っていたのですが、チャイコフスキーの全作品が好みという訳でもありません。

2014年12月19日にNHK BSプレミアムで放映された映画「Le Concert(邦題「オーケストラ!」)」の中で伏線となっていたのがチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲でした。この映画は2015年2月6日にも放送されました。この映画は日本では2010年に公開されたそうですが知りませんでしたし、NHKの放送を視るまで内容も評価も全く知りませんでした。

全く白紙の状態で視た映画でしたが、たいへん気に入りました。ツボにはまったと言ってもいいくらいです。2015年に再放送された時には録画しましたし、DVDも買いました。ストーリはすっかり覚えてしまっているのに、その後は毎日のように視ていました。

この作品に接するまではチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲に何の思い入れもありませんでしたが、これ以降はお気に入りの作品のひとつとなりました。 近所の図書館を幾つかはしごしてCDに収録されている多くのヴァイオリン協奏曲を聴いてみると、演奏者の違いによる印象の差異が思いのほか大きいことに気がつきました。

ヴァイオリン協奏曲が収録されているCDは多数あるので闇雲に購入するわけにもいきませんが、関心を引いたものを購入することにしました。
映画で使われた演奏はSarah Nemtanuとフランス国立管弦楽団なので、先頭にあげたCDを最初に買ってみました。それ以外のCDも随時購入してみましたが、同じ「チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲」なのに奏者によって印象が大きく変わることに新鮮な驚きを感じました。ゆったり流れるように演奏する場合もあれば、テンポよく躍動感がある演奏もあり、こうも解釈が変わるのかと思いました。

さらに協奏曲はソリストとオーケストラとの掛け合いという愉しみがあることも知りました。

今までクラシックを聴いてきてオーケストラや指揮者などの違いについては、全く意識していませんでした。このヴァイオリン協奏曲を聴くようになったことで新しい盤が出たら買いたくなる気持ちが理解できるようになりました。

最も気に入っている演奏はアナスタシア・チェボタリョーワの作品です。力強く躍動感にあふれる演奏だと感じています。

近々購入しようと思っているのはNicola Benedetti「Violin Concertos - Bruch, Tchaikovsky」4764092です。

2016-06-02

通信指導問題の提出準備

今学期に放送大学大学院で受講している科目の通信指導問題を提出する期限が来週前半に迫っています。2科目受講していて、ひとつは4月中に片付けてしまい既に提出してあります。もうひとつの「現代物理科学の論理と方法('13)」は手強く10問ある中で2問が解けずにいます。郵送で来週7日(火)必着なので、出来ても出来なくても今週末には発送しないと間に合いそうもありません。

複雑な数式が多いのでTeXを使います。過去の通信指導問題でも最近はWordやLibreOffice WriterからLaTeXに移行しています。そのためLaTeXを使うことに問題はないのですが、複雑な数式を組むのは未経験でした。

参考書籍として、手持ちの『[改訂第5版] LaTeX2e 美文書作成入門』や、図書館から借りた『LATEX2εまるごと数式』を参考にしました。またWebを検索して数式を組むためのコツを調べながら原稿を作成しています。

LaTeXに限ったことではありませんが、明らかに間違っている方法でなければ、何かを組み上げる際の実現方法は幾通りでも考えられます。LaTeXの場合、組版した結果が期待通りなら問題ないと考えるところでしょう。ところが「使ってはいけない LaTeX のコマンド・パッケージ・作法」のような情報があるようなので、経験を積まないと適切な判断は下せないのかもしれません。

数式をLaTeXで組んでいて感じることは、そもそもWYSIWYGではないのでLaTeXにかけてみないと結果が期待通りか否か分からないのは良いとして、LaTeXで書き下す際の手間を省く方法がないものだろうかという事です。数式中に同じようなパターンや繰り返しが現れるので、個別に書かずに何かワンクッション置くことで手間を削減できるような方法が欲しいところです。

グラフィカルな数式エディタを使うようなアプローチだと、非WYSIWYG的な発想に逆行するので避けたいところです。C言語で#defineを使うような、MicrosoftのアセンブラMASMがマクロ機能を持っているような、そういうアプローチがあれば便利かもしれないと想像しています。

どうすればTeXらしいアプローチなのか考えてみたいと思っています。